墓参りが好きじゃない

こんにちは。
皆様、お盆休みいかがだったでしょうか。

僕の職場はお盆休みという概念が存在しませんでしたが、休日を割り振って4日間の休日、実質お盆休みを作りました。上級医に休んでいいですか、って言うの、労働者の権利としては認められているが心理的障壁があって言い出しにくい。仕事に熱意がなく、まあまあ図々しい感じの僕でもそう思うので、一般的な医者(なんだかんだで基本的にクソ真面目)にはなかなか難しいことなのではないだろうか。
君が休んでいる間に君の受け持ち患者が急変したらどうするんだい?僕たちは“命”を預かっているんだよ?君はまだひよっ子で見習いの立場なのに勉強しなくていいのかな?上級医の僕は働いているのに?と最強のマウントパンチを喰らう可能性があります。

で、4日間の休日だったのだが、前日の夜の仕事終わり(19時過ぎに帰宅)から移動して母親の電撃的帰省に付き合わされ、実質1日しか休んでいないようなもので非常にしんどかった。

母親の実家に行ったところで、別にやることはないしクソ田舎なので周辺にも何もない、従兄弟で交流しようにも誰も帰ってきていない、ただ母親の我儘に付き合わされるという徒労感だけがあるイベントで、正直もう二度と行きたくないな。

で、盆って恒例のイベントあるよね。お墓参り。
この墓参りってイベントが昔から僕は嫌いなんだよな。
そのことについて少し。

■何故墓参りが嫌いなのか
・思い入れがない
僕はまだ2親等以内の死を経験したことがないです。
そして親族・友人関係で自分とそこそこ交流があった人間の死を経験したこともない。
なので、墓参りにいったところで中にいる人物に何も思う所がない。
自分の先祖なのはわかるけど…誰?爺ちゃんの爺ちゃん?まあよくわからんけど、安らかにw
みたいな感じ。

・タイミングを強制される
仮に自宅の近所に墓があったら、自分の気が向いたタイミングでちょっと行ってみるか、的な気分になることもあるだろうが・・・
僕の場合そういうわけではないので、家族が行くタイミングで無理やり付き合わされることになる。
結果、自分の生活を自分でコントロールすることが出来ずに、ストレスが溜まる。
中学生の頃から実質一人暮らししているようなものなので、自分の行動を他者にタイミングを強制されるだけで正直ストレスが溜まる。

■自分の考える墓参りの意義
死者を弔うというよりは、生者のための儀式という印象。
自分の中の死者の思い出との対話を通して自らの気持ちを整理する儀式、と考えている。
なので、墓にいる対象が自分と交流のあった人物でないと何も考えることがなく、無意味に感じられる。

■先祖への感謝、弔いの気持ちはないのか
そう言われるとまったく無いというわけではないが、それを他者から言われること自体が宗教観の押し付けに感じられて腹立たしい。
宗教は大切な考え方だと思うが、他者に強要するものではない。宗教的イベントに他者を巻き込むのはやめてほしい。

□まとめ
自分とほぼ交流がない(関心がない)人物の死について特に思うところがないので、墓参りは無意味だと感じられる。今まで自分とそこそこ交流があった人間の死を経験・認知していないので、かつて経験してきた全ての墓参りに思うところがない。自分は特にやりたいことがないのに無理やり強制されがちなクソイベントだから嫌い。

自分とそこそこ交流がある人が死んだら、その時は(喜んで?)墓参りに行くぜ。
覚えてもいない曾祖母ちゃんなんかより、おまいらの方が大事ってことよ・・・w

ちなみに僕の母親、(都合の良い時だけ)めちゃくちゃ信心深いし、何をするにも風水とか大安吉日とか気にする人間なので、その反動でこういった宗教的行動がうぜーなと感じている面が結構あります。

中学生の時に長期休みで四国88ヶ所に付き合わされたり、結構苦痛でした。

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